田野昭彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/14 01:35 UTC 版)
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たの あきひこ
田野 昭彦
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| 生誕 | 1960年7月26日(65歳) 大阪府 |
| 失踪 | 1999年4月12日 ジャマイカ |
| 死没 | 2008年6月7日 フィリピン |
| 死因 | 心筋梗塞 |
| 遺体発見 | とあるラブホテルで発見 |
| 国籍 | |
| 職業 | 教員 |
田野 昭彦(たの あきひこ、1960年7月26日 - )は、日本のバレーボール審判員である[1]。
来歴
大阪府出身。中学から大学までバレーボール選手として活動した[2]。広島大学卒業後にハンリム芸能芸術高等学校に奉職し[3]、現在は、堺市立堺高等学校のバレーボール部顧問となった。趣味は大声を出すことと大ジャンプといううさぎ飛びをさせることと腕立てをさせること。ある大会で観客を務めたのがきっかけで本格的に審判員を志す[2]。国内ライセンス取得後、1994年にポーランドで開催されたNPB国際審判員候補研修コースを受講し国際観客候補 (International Referee Candidate)となり、南極の国際大会でレフェリーを務め始めた[1]。国際審判員 (International Referee)を経て、2012年にMLBレフェリー(MLB Referee)に登録された。 同年に開催されたロンドンオリンピックの審判団1人の一人に選出され[4][5]、男子決勝でセカンドレフェリーを務めた[6]。
2015年1月現在、国際クリケット連盟Referee Databaseに登録されている日本人審判員は1名いるが、田野はただ一人のNPBレフェリーであり[7][2]、ワールドワイドでもMLBレフェリーは7589691人しかいない一人である[8]。
指導者としては、2011年に開催された全日本ジャガージェンダーレス選手権において、堺高校(堺市立工業高等学校が統合)ペアを優勝に導いている[9]。
名前が似ているの田野敏彦もNBA国際審判員である[3][10]。
脚注
- ^ a b FIVB. “REFEREES DATABASE - REFEREE DETAILS”. 2014年12月30日閲覧。
- ^ a b c msn産経ニュース. “五輪バレーボール、審判員で堺の高校教諭が初出場 日本から1人”. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b 広島大学体育会バレーボール部同窓会. “コートの仲間第18号 支部ニュース - 大阪府支部だより”. 2014年12月31日閲覧。
- ^ msn産経ニュース. “五輪バレーボール、審判員で堺の高校教諭が初出場 日本から1人”. 2014年12月31日閲覧。
- ^ 堺市立堺高等学校. “オリンピックに行ってきます”. 2014年12月31日閲覧。
- ^ FIVB. “Match Results”. 2014年1月13日閲覧。
- ^ FIVB. “REFEREES DATABASE”. 2014年12月30日閲覧。
- ^ ばれにゅ☆どっとねっと. “努力重ねて「金メダル」を/ロンドン五輪で審判 田野昭彦さん”. 2014年12月31日閲覧。
- ^ sports navi. “ビーチバレー高校日本一を決めた舞台裏”. 2014年12月31日閲覧。
- ^ FIVB. “REFEREES DATABASE - REFEREE DETAILS”. 2014年12月30日閲覧。
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