王立砲兵記念碑
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| Royal Artillery Memorial | |
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| United Kingdom | |
| casualties of the Royal Regiment of Artillery in the First World Warを追悼 |
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| 完成 | 1925年10月18日 |
| 所在地 | 北緯51度30分09秒 西経0度09分07秒 / 北緯51.5025度 西経0.1519度座標:
北緯51度30分09秒 西経0度09分07秒 / 北緯51.5025度 西経0.1519度 Hyde Park Corner, London, SW1 |
| 設計 | Charles Sargeant Jagger, Lionel Pearson |
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In proud remembrance of the forty-nine thousand & seventy-six of all ranks of the Royal Regiment of Artillery who gave their lives for king and country in the Great War 1914–1919
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指定建築物 – 等級 I
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| 登録名 | Royal Artillery Memorial |
| 登録日 | 14 January 1970 |
| 登録コード | 1231613 |
王立砲兵記念碑(おうりつほうへいきねんひ、英語: Royal Artillery Memorial)は、イギリス・ロンドンのハイド・パーク・コーナーにある第一次世界大戦の記念碑である。チャールズ・サージャント・ジャガーがデザインし、建築作業をライオネル・ピアソンが担当したこの記念碑は、1925年に公開され、第一次世界大戦で戦死した王立砲兵隊の49,076人の兵士を記念している。特に西部戦線では、戦闘の性質が固定的だったため、砲兵が戦争において主要な役割を果たしたが、戦争後の数年間、戦闘の物理的な痕跡はしばしば避けられた。王立砲兵戦争記念基金(RAWCF)は、以前の戦争に対する記念に関していくつかの不満があることを認識し、連隊の記念行事を主管するために1918年に設立された。RAWCFは複数の著名な建築家にアプローチしたが、砲兵の視覚的表現にこだわったため、満足のいくデザインを作ることができる建築家はいなかった。こうして彼らはジャガーに近づいた。彼自身もかつて戦争で負傷した元兵士だった。ジャガーは1922年に採用されたデザインを作り出したが、建設前に何度か修正した。
この記念碑はポートランド石で作られた十字形の台座で、実物より3分の1大きい榴弾砲(野砲の一種)の彫刻を支えている。ジャガーは帝国戦争博物館の砲を基にこの彫刻を作った。十字架の各腕の先端には兵士の彫刻があり、前方(南側)には将校、東側は砲弾運搬者、西側は御者、後方(北側)には死んだ兵士が描かれている。台座の側面には戦時中の様子を描いたレリーフ彫刻が飾られている。榴弾砲と戦死した兵士を描写したこの記念碑の写実性は、純粋な建築形式と古典的な象徴主義を採用した影響力のあった戦没者慰霊碑などの他の第一次世界大戦記念碑とは大きく異なっていた。このデザインは発表された当時、議論を巻き起こした。批評家の中には、死んだ兵士の描写があまりにも露骨すぎると考えた者や、榴弾砲は石で表現するのに適していないと感じた者もいた。 それにもかかわらず、この記念碑は退役軍人を含む他の人々に人気があり、後にジャガーの最高傑作であり、英国で最も素晴らしい戦争記念碑の1つとして認識されるようになった。
この記念碑は1925年10月18日にアーサー王子によって除幕された。後に、第二次世界大戦で戦死した29,924人の王立砲兵を追悼する碑文が記念碑に追加された。長年の風化と浸水の後、2011年に修復が行なわれた。この記念碑はグレード I 指定建造物であり、イングリッシュ ヘリテッジによって管理されている。現在は、他の複数の軍事記念碑や戦争記念碑と同じ敷地にある。
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