狂心渠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 15:34 UTC 版)
狂心渠(たぶれごころのみぞ)は、飛鳥時代に斉明天皇が造営させたとされる運河[1]。香山から「石上山」をつなぐ水路であったとされ、現在の宮東山酒船石遺跡(明日香村)から豊田山(天理市)をつなぐものであったという説が有力であるとされている[2][3]。
概要
『日本書紀』に斉明天皇が行った「興事」として記録されている。後飛鳥岡本宮の東の山の石垣を作るための石を石上山から運ぶために作ったという[2][4]。舟200隻を用いて石を運び、水路を掘るために功夫を3万人余り、石垣を作るのに功夫を7万人余り用いたりしたため、時の人が謗って「狂心渠」と呼んだ[2][4]。
明日香村内で、狂心渠の跡と思われる遺跡が発掘されている。
脚注
注釈
出典
- ^ “狂心渠”. 日本国創成のとき ~飛鳥を翔た女性たち~. 日本遺産「飛鳥」魅力発信事業推進協議会. 2025年2月27日閲覧。
- ^ a b c “古代天皇誌 斉明天皇(3)「狂心」と非難された無謀な運河開削”. 産経新聞. (2014年4月8日)
- ^ “【インタビュー】奈良大准教授・相原嘉之さん - 斉明朝の「狂心渠」ルート復元”. 奈良新聞. (2022年5月25日)
- ^ a b 黒板勝美 (岩波書店)『訓読日本書紀 下 (岩波文庫)』 pp.263-264
関連項目
外部リンク
- 狂心渠 - 日本遺産ポータルサイト
- 狂心渠のページへのリンク