潭廣院とは? わかりやすく解説

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潭廣院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 09:09 UTC 版)

潭廣院 たくこういん
本堂
所在地 神奈川県秦野市西田原98
位置 北緯35度23分23.3秒 東経139度12分47.9秒 / 北緯35.389806度 東経139.213306度 / 35.389806; 139.213306座標: 北緯35度23分23.3秒 東経139度12分47.9秒 / 北緯35.389806度 東経139.213306度 / 35.389806; 139.213306
山号 延命山[1]
院号 潭廣院[1]
宗派 曹洞宗
本尊 地蔵菩薩[1]
創建年 永禄7年 (1564年)
開山 関翁完越(天正7年10月25日入寂)[1]
法人番号 2021005004271
潭廣院
潭廣院 (神奈川県)
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潭廣院(たんこういん)は神奈川県秦野市西田原にある曹洞宗の寺。

概要

永禄7年 (1564年)に開創された。

一時期無住になった潭廣院から薬師如来座像、聖観音菩薩立像、地蔵菩薩立像が曽屋村 瑠璃光山・慈眼寺に移され、以来曽屋村だけなく、旅行く商人、職人等が祈願する姿が伝えられ、相模薬師第17番として栄えた。

新編相模国風土記稿』曽屋村の項に「薬師堂二 一ハ慈眼寺ノ號アリ西田原村潭廣院持」とある[2]

慈眼寺は長い間住職がなく、地域民に守られてきた。明治時代の廃仏毀釈は曽屋村では激しくなく、それでも寺号を廃止、曽屋薬師堂として明治42年頃まで近くの人たちにより守られてきた。

時移り、曽屋公会堂が秦野市福祉会館に建て替えられたおり曽屋観音堂(薬師堂)に祀られていた諸仏は、地域の人の長い歳月の信仰もあり、中曽屋自治会館に移された。その会館の取り壊しが決まり(2015年4月)潭廣院への里帰りとなった。

潭廣院は薬師如来座像、聖観音菩薩立像、地蔵菩薩立像諸仏の里帰りに合わせ本堂内に宮殿を築造し厨子2基を安置し(2021年1月)、明年寅年の12年に一度のご開帳の準備を整えている。

本寺・末寺

  • 本寺:相州鎌倉郡玉縄村龍宝寺[1]
  • 末寺:相州曽屋村瑠璃光山・慈眼寺(開山分銀良全)

アクセス

  • 公共交通機関を使う場合、小田急線秦野駅 から羽根行き神奈川中央交通バス、上宿会館前下車、 バス停から徒歩3分。車を使う場合県道705号線

脚注

参考文献




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