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満川忠親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/02 17:08 UTC 版)

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滿川忠𧡿
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文18年(1549年
官位 民部少輔
主君 宇都宮尚綱笠間氏
氏族 満川氏

満川 忠親(みちかわ ただちか)は、戦国時代武将下野宇都宮氏笠間氏の家臣。

略歴

天文18年(1549年)9月17日、喜連川五月女坂の戦いにおいて、笠間氏からの援軍として参陣し那須氏と戦った。宇都宮軍が那須軍の奇襲を受けて動揺している中、手勢を率いて敵陣に斬り込み、敵を七騎討ちとるなど奮戦したがその後、討死した。

この合戦で、当主・宇都宮尚綱も討死し、宇都宮軍は大敗した。また、この混乱を利用し、宿老の壬生綱房宇都宮城を乗っ取り、宇都宮氏は滅亡の危機に晒される事になった。

略歴

  • 恩田浩孝『座禅院昌尊の生涯 日光山の終焉と上三川 今泉家』(随想社、2015年)ISBN 978-4-88748-312-5



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