清雲院 (細川成之の娘)
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清雲院(せいうんいん、生年不詳 - 天文23年3月16日(1554年4月17日)[1])は、戦国時代の女性。阿波の守護大名・細川成之の娘[2]。
室町幕府の11代将軍・足利義澄に嫁ぎ、次男(長男)の足利義維を生んだとされる[2]。義維の母は斯波氏(または六角氏)出身の武衛娘とされるが、義維と阿波細川氏の関係を見れば、義維の母は成之の娘と見ることもできる[2]。
天文23年(1554年)3月16日、勝瑞城で病没。戒名は清雲院殿華厳妙艶大姉[1]。
なお、義維の子孫が記した『阿州足利平島伝来記』(平島記)では、清雲院が10代将軍・足利義稙の正室だったと記されている。だが、義稙はその生涯において正室を持たなかったことが明らかとなっており[3]、これは正確な記述ではない。
脚注
参考文献
関連項目
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