水野忠隣とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 水野忠隣の意味・解説 

水野忠隣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/21 17:45 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

水野 忠隣(みずの ただちか、享保20年(1735年) - 安永7年5月9日1778年6月3日))は、江戸時代中期の旗本。旗本水野忠照の次男。通称は勝五郎。室は水野忠穀(忠照の弟)の娘。

父の家督を継いでいた兄の忠卿が宝暦元年(1751年)に18歳で早世したため、宝暦2年(1752年)3月6日家督を相続し、同月18日、将軍徳川家重に拝謁する。宝暦3年(1754年)12月14日中奥の番士となり、明和2年(1765年)6月15日小十人頭に転ずる。明和7年(1770年)3月16日新番頭に移り、安永5年(1776年)将軍徳川家治日光東照宮参詣に供奉する。

安永7年(1778年)没する。享年44。法名は利廓。

旗本岡野知暁の次男(吉太郎、後の水野忠成)を養子とするが、宗家の水野忠友の養子に転じ沼津藩主を継承したため、忠成の次男である忠紹(午之助)が、采地の信濃国佐久郡2000石(根々井知行所)を相続。その後は忠寛(旗本から沼津藩主を継ぐ)、忠明(出仕せず)、忠敬(旗本から沼津藩主を継ぐ)、忠善(春四郎)と続いて明治維新を迎えた。

参考文献

  • 寛政重修諸家譜 巻第331」
  • 沼津市立駿河図書館編「御代々略記 沼津藩水野家年代記」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「水野忠隣」の関連用語

水野忠隣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



水野忠隣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの水野忠隣 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS