楊鳳とは? わかりやすく解説

楊鳳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 04:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

楊 鳳(よう ほう、Yang Feng、? - 1854年)は、末の斎教の乱の指導者の一人。またの名は応竜。字は隆喜

貴州省遵義府桐梓県出身。衙役(役所の雑用係)出身。斎教を利用して群衆を集めていた。1854年、楊鳳・陳寿・李時栄らは「折徴」(実物を銀に換算して徴税)に反対して蜂起した。蜂起軍はみな黄色の頭巾をして「黄兵」と称した。黄兵軍はたちまち桐梓・仁懐を占領し、遵義の大渓里(現在の匯川区山盆鎮)の舒裁縫と合流して、2万人に膨れ上がった。しかし雲貴総督の羅繞典が兵を率いて攻撃をかけたため、黄兵軍は南の帰化羅斛麻哈余慶などに退いた。最後は竜渓の戦いで敗北し、楊鳳は捕らえられて処刑された。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「楊鳳」の関連用語

楊鳳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



楊鳳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの楊鳳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS