柳妻麗三郎
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柳妻 麗三郎(やなづま れいざぶろう、1898年3月9日 - 1988年あるいは1989年)は、日本の俳優、芸人、元奇術師、元照明技師である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]。奇術師時代の芸名は松旭斎 天秀(しょうきょくさい てんしゅう)、本名・旧芸名は高見 嘉一(たかみ かいち)[1][2][3][5][8][9][10]、一時期、チャーリー 高見(チャーリー たかみ)とも名乗った[11]。「マキノのチャップリン」と呼ばれ[12]、「昭和の鳥人」こと高木新平に軽業を指導したこと、および「ノッポさん」こと高見映の実父としても知られる[1][13]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o キネマ旬報社[1979], p.600.
- ^ a b c d e f g h i 映画世界社[1928], p.77.
- ^ a b c d e f g h i 映画世界社[1929], p.101.
- ^ 柳妻麗三郎、jlogos.com, エア、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 柳妻麗三郎、高見嘉一、日本映画データベース、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g 柳妻麗三郎、日本映画情報システム、文化庁、2013年6月12日閲覧。
- ^ 柳妻麗三郎、allcinema, 2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e 高見嘉一、東宝 映画データベース、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 柳妻麗三郎、高見嘉一、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 高見[1991], p.92-95.
- ^ a b c ラクゴロク「しゃべるノッポさんは落語流」高見のっぽ、朝日新聞、2006年7月10日付、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c 岩本[2005], p.131-133.
- ^ a b 映画世界社[1934], p.77.
- ^ くまもと[2000], p.56.
- ^ 藤山[2012], p.150-151.
- ^ 1929年 マキノ・プロダクション御室撮影所所員録、立命館大学、2013年6月12日閲覧。
- ^ 御室撮影所、立命館大学、2013年6月12日閲覧。
- ^ 高見[1991], p.34.
- ^ 古岡三枝子 (2007年12月11日). “聞き書き 俳優高見のっぽさん(9)”. 読売新聞. オリジナルの2009年7月14日時点におけるアーカイブ。 2013年8月25日閲覧。
- ^ a b 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年6月12日閲覧。
- 1 柳妻麗三郎とは
- 2 柳妻麗三郎の概要
- 3 脚注
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