松平康末とは? わかりやすく解説

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松平康末

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 01:45 UTC 版)

松平 康末(まつだいら やすすえ、生年不詳 - 元禄6年3月12日1694年4月17日[1])は江戸時代旗本福釜松平家の分家・松平三郎九郎家の初代。通称は十郎左衛門、三郎九郎。

松平康盛の五男。母は松平忠実の娘。妻は鈴木政房の娘。子に松平康致、朝比奈正武(朝比奈正照の養子)がいる[1]

寛文11年(1671年)12月12日、父・康盛の所領から三河国碧海郡下総国香取郡において300石を分与される。延宝4年(1676年)4月26日、書院番に就任。元禄6年(1694年)3月12日死去。法名は定軌[1]

脚注

  1. ^ a b c 『寛政重修諸家譜 第1輯』国民図書、1922年、p.23。



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