東本之雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 23:41 UTC 版)
近鉄パールス(1957年 - 1960年) #51 | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 岐阜県 |
生年月日 | 1938年10月10日 |
身長 体重 |
172 cm 67 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 投右投右打打 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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東本 之雄(とうもと ゆきお、1938年10月10日 - )は、岐阜県出身のプロ野球選手(内野手)[1]。
来歴・人物
岐阜県で生まれ、多治見工業高等学校(現・岐阜県立多治見工業高等学校)で野球に打ち込み、遊撃手として頭角を現した[2]。1957年、近鉄パールスに入団し、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた[3]。
入団当初は二軍でのプレーが中心であったが、山本静雄コーチの厳しいノックを受けて鍛錬を積み、1958年に一軍初出場を果たした。1959年には58試合に出場し、打率.182、20安打、1打点の成績を残した[4]。当時のチームメイトには、同年代の太田(元大洋)や鎌田(元近鉄)などがいた[3]。
1960年には矢ノ浦国満の加入もあり、出場機会が激減。この年限りで現役を引退した。背番号は51で、後に同番号を背負った土井正博の前任者でもある。また、元気があり、ヤジ将軍でもあったといわれている。背番号は51で土井正博の前に51をつけていた選手でもある[3]。
引退後の活動
プロ野球引退後、東本は実業界に転身し、愛知県豊田市に本社を置く有限会社大東工務店を設立。代表取締役として、土木工事や舗装工事などの建設業を手がけ、地域社会のインフラ整備に尽力した。同社は資本金500万円、従業員数7名の体制で、愛知県知事許可(第019525号)を取得し、公共・民間を問わず多様な工事に対応している[5]。
脚注
- ^ “東本 之雄”. 2689web.com. 2025年5月15日閲覧。
- ^ “『伊川義則、東本之雄、福島孟男』”. プロ野球OBを徹底追求する. 2025年5月15日閲覧。
- ^ a b c “東本之雄 - 選手戦績、年俸情報”. 野球丼. 2025年5月15日閲覧。
- ^ “東本 之雄(近鉄バファロー) 1959年成績”. Baseball Chronicle - ベースボール クロニクル -. 2025年5月15日閲覧。
- ^ “会社概要|有限会社大東工務店”. www.kensetumap.com. 2025年5月15日閲覧。
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