景山八郎とは? わかりやすく解説

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景山八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/04 16:43 UTC 版)

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16歳の時、自作で口径10センチの天体望遠鏡を作る。


以下の文章は景山氏の許可に基づいて、ホームページから引用されています。

1937年(昭和12年)2月28日、鳥取県境港市に生まれる

6歳 夜空を見ているとき白い帯が見え、母親が「天の川だよ」と言った。「川なのにどうして水が落ちてこないんだろう」と思い、虫眼鏡のレンズを組み合わせて望遠鏡を作って見てみると、川ではなく一つ一つの星だったので驚いた。ここから、星や宇宙の不思議に興味を持つ

8歳 大昔から伝え聞く、流星で願い事がかなうという不思議な力に興味をもつ

10歳 科学への興味を持ち始める

小学生のときから手作りの望遠鏡で天体観測を重ね、山陰地方では「お星様少年」として有名になり、新聞などでも取り上げられ、大人が人生相談に来たりする

15歳 父親の船大工や水産加工業を手伝いながら、天文研究を続ける。

   オリオン天文同好会会長となる

16歳 口径10センチの天体望遠鏡を自作する(ガラスを磨いてレンズ作成)

18歳 当時の熊野英松江市長の要請で松江市教育委員会に入り、ロケット科学館を作ったり、小中高や大学で宇宙の講演をしたり啓蒙活動をする。

   全長25m、日本最大ロケット建造(ロケット科学館)

        東京天文台長・広瀬氏と会見

   日本天文学会特別会員(東京天文台内)

   口径20センチ、長さ4メートルの日食観測用の天体望遠鏡を自作する(ガラスを磨いてレンズ作成)

   北海道・網走で日食を観測し、NHKニュースに出る

20歳 食現象計算器を考案。特許を取る

21歳 国際地球観測年、人工衛星観測班主任

22歳 米スミソニアン天文台とアイゼンハワー大統領より表彰

   (国際地球観測年の功績をたたえて)

   天体の発見、ロケットの設計、町の天文教室開催など、地元の天文学者として活躍する

23歳 国際アマチュア宇宙科学協力局を設立

   東京大学のロケット博士・糸川英夫教授と会見

24歳 国際天文学連盟副総裁のクロルキンモスクワ大学教授より月の裏側の写真を送られる

        境港から上京する。

          新聞配達からカメラ会社(キャノンの下請け会社)へ。

  その後、望遠鏡製作の腕を見込まれ、ライフル銃の照準鏡を作る会社に入る。

25歳 世界最初の宇宙飛行士、ソ連のガガーリン少佐と会見

26歳 米国最初の宇宙飛行士グレン中佐と会見

27歳 アメリカNASAから、ロケットの件で会談したいと、特別機で立川飛行場に迎えに来る

東京でも町の天文教室を開催

28歳 世界最初に人工天体の写真を撮影

30歳 (株)保谷硝子(現在のHOYA株式会社)の顧問をつとめる

35歳 国際古美術研究保存協会設立

50歳 株式会社国際館 設立

53歳 国際宇宙協会設立 設立

55歳 世界的超能力者ユリゲラー氏来訪   

   世界最大級隕石を入手(イミラック118kg)

57歳 下田城主となる。美術館設立

58歳 隕石パワーの発見

59歳 宇宙パワーエイト特許出願中

60歳 宇宙パワー健康食品開発

62歳 宇宙パワーシールα意匠登録取得

63歳 宇宙村設立、村長となる





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