明王寺 (日田市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/26 15:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動淡窓不動尊 明王寺(たんそうふどうそん みょうおうじ)
所在地 大分県日田市淡窓2−3−25
正式名称 真言宗醍醐派報恩院遍照山明王寺
歴史
明王寺の建立は、当時日田町大字南豆田字鉄砲場(現在の丸の内町)に在住の水島安兵衛翁の発願によるものと伝えられる。
翁は、 明治14年旧3月、39才の時に感ずるところあって本四国八十八ヶ所の参拝巡礼の旅に出て、第五十一番札所・石手寺参拝のおり弘法大師のご加護を頂き深く感銘し、その報恩感謝の誠と多くの人々に大師のご加護のあらんことを念じて一寺建立を発願した。翁は一寺建立にあたり私財の大半を喜捨し、また、幾多の困難を克服して漸くにして、明治21年3月21日、大分県下毛郡中津町より明王院の院号を鉄砲場に移し、更に山号を遍照山・寺号を明王寺に改め、上棟の式(地突き加勢300有余人、上棟加勢500余人)を修した。明治21年11月21日に落成し、大願成就しました。県内外より十五ヶ寺余の住職が参集しまして、十三日間に渡り盛大な落慶法要が修され、無魔吉祥に明王寺が建立された。
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御本尊
御本尊は2尺の立像で、理源大師聖宝の作と伝えられる。
本堂天井
本堂は間口7間でその天井には信者が一人一文字奉納した般若心経が書かれている。般若心経が書かれたサイズとしては日本一ではないかと言われている。
厄除けの寺
厄除けの不動明王、弘法大師として知られており、年末年始に多くの祈願者がある。
水子地蔵
水子地蔵の寺としても知られており、県内外より参拝があり、境内の水子供養の「水子地蔵」にはお供え物が絶えることがない。
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