日忠_(大石寺)とは? わかりやすく解説

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日忠 (大石寺)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/30 03:11 UTC 版)

日忠(にっちゅう、1687年貞享4年) - 1743年11月26日寛保3年10月11日))は、大石寺第30世法主

略歴

  • 1687年貞享4年)、誕生。
  • 1706年宝永3年)5月26日、父浄光院浄源卒。
  • 1730年享保15年)12月14日、母聞法院妙行卒。
  • 1733年(享保18年)7月16日、秋元抄記を著す。
  • 1736年元文元年)春 29世日東より法の付嘱を受け、30世日忠として登座。9月7日、三宝之事を著す。
  • 1740年(元文5年)3月8日、甲斐杉山有明寺板本尊造立。
  • 1740年(元文5年)11月13日、日忠、法を31世日因に付し石之坊に移る。
  • 1743年寛保3年)10月11日、57歳にて死去した。


先代
日東
大石寺住職一覧 次代
日因



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