押松丸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 押松丸の意味・解説 

押松丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 02:15 UTC 版)

押松丸(おしまつまる、生没年不詳)は、鎌倉時代の人物。藤原秀康の従者[1]

略歴

押松丸は後鳥羽上皇の使者で、承久3年5月15日1221年6月6日)に発せられた「義時追討の宣旨」を持ち、三浦胤義の密使と共に鎌倉へ赴いたが、葛西谷で捕らえられた。5月27日6月18日)、北条義時は押松丸に返書を持たせて京都へ帰らせた[2][3]

6月1日6月22日)、京都に着いた押松丸は御所に参上。周囲からは義時を討ったかと期待されるも、院宣が奪われて鎌倉から大軍が攻めてくることを告げると公卿らは驚き慄いたと言う[4]

関連作品

参考文献

  • 『異説日本史戦争篇上. 第12巻』雄山閣編輯局、1932年、286頁。 
  • 『日本史蹟大系: 第6巻』平凡社、1935年、2495頁。 

脚注

注釈

  1. ^ 作中では平知康と同一人物として描かれている。

出典

  1. ^ 鎌倉方はなぜ承久の乱に勝てたか”. www.tamagawa.ac.jp. 2023年1月5日閲覧。
  2. ^ 北条政子の演説は誰に、どこで?”. 2022年12月11日閲覧。
  3. ^ 異説日本史戦争篇上. 第12巻 1932, p. 286.
  4. ^ 日本史蹟大系:第6巻 1935, p. 2495.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  押松丸のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

押松丸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



押松丸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの押松丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS