恵徳皇后とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 恵徳皇后の意味・解説 

恵徳皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 14:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
段皇后
後燕の皇后
在位 396年 - 400年

別称 恵徳皇后
埋葬 長楽元年12月25日(400年)
配偶者 恵愍帝
子女 慕容策
氏族 鮮卑段部
テンプレートを表示

恵徳皇后(けいとくこうごう、? - 400年)は、後燕の恵愍帝慕容宝の皇后。姓は段氏

生涯

慕容宝に嫁ぎ、男子を1人産んだ。永康元年(396年)、慕容宝が即位すると、皇后に立てられた。同年、息子の慕容策が太子に立てられた。

永康3年(398年)5月、蘭汗は慕容宝と慕容策を殺害し、昌黎王を自称して即位、簒奪した。7月、慕容宝の庶出長男の慕容盛(昭武帝)が父の仇討として蘭汗を殺し、即位した。嫡母の段皇后も皇太后に立てられた。

長楽元年12月25日(西暦400年)、崩御した。「徳」の諡号が贈られ、夫の諡を重ねて恵徳皇后と称された。

男子

  • 慕容策(献哀太子)

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「恵徳皇后」の関連用語

恵徳皇后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



恵徳皇后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの恵徳皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS