徽安門院一条とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徽安門院一条の意味・解説 

徽安門院一条

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 07:37 UTC 版)

徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう、生没年不詳)は、南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。本名は不詳。

正親町公蔭の娘で、母は北条久時の娘。徽安門院寿子内親王花園天皇皇女・光厳天皇後宮)に仕えて一条局(いちじょうのつぼね)と名乗る。その後光厳院の寵愛を受けて義仁親王(正親町宮)を産む。

後期京極派の歌人で、康永2年(1343年)冬以前の院六首歌合に出詠。また貞和百首・延文百首にも和歌が収録されている。『風雅和歌集』以後の勅撰和歌集に22首入集。家集『徽安門院一条集』を残す。

参考文献

  • 岩佐美代子『風雅和歌集全注釈』笠間書院、2003年。
  • 芳賀登他監修『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1993年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徽安門院一条」の関連用語

徽安門院一条のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徽安門院一条のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徽安門院一条 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS