徳川治休とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徳川治休の意味・解説 

徳川治休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 05:36 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
徳川治休
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦3年10月7日1753年11月1日
死没 安永2年6月14日1773年8月2日
改名 熊五郎(幼名)、治休
戒名 紹隆院
墓所 愛知県名古屋市建中寺
官位 従三位左近衛権中将右兵衛督
尾張藩世嗣
氏族 尾張徳川家
父母 徳川宗睦近衛家久長女・転陵院
兄弟 治休治興
テンプレートを表示

徳川 治休(とくがわ はるよし)は、江戸時代中期の尾張藩の世嗣。官位従三位左近衛権中将右兵衛督

生涯

9代藩主・徳川宗睦の長男として誕生。幼名は熊五郎。

明和2年(1765年)に10代将軍徳川家治に拝謁し叙任する。明和5年(1768年)には家治の次女・万寿姫と婚約した。しかし、婚姻成立前に万寿姫は死去し、治休も家督相続前の安永2年(1773年)、当時の流行病にかかって早世した。享年21。法号は紹隆院。墓所は愛知県名古屋市建中寺

代わって弟・治興が嫡子となった。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳川治休」の関連用語

徳川治休のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳川治休のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳川治休 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS