循貴妃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 循貴妃の意味・解説 

循貴妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 07:37 UTC 版)

循貴妃 伊爾根覚羅氏

循貴妃(じゅんきひ、乾隆23年(1758年9月28日 - 嘉慶2年(1797年)9月17日)は、乾隆帝の側室。満州鑲藍旗の出身。姓は伊爾根覚羅(イルゲンギョロ)氏。父は両広総督桂林。

生涯

乾隆41年(1776年)、后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格し、最初は貴人に封じられたが、後に嬪に改封され、循嬪として入宮する。

乾隆44年10月に循嬪としての正式冊封をうけるが、12月に父の桂林が死去し、循嬪は肝炎とそれに伴う鬱病を発症し、太医たちが力を尽くして治そうとしたが、循嬪の精神状態に問題があったので、効果が出ることはなかった。

乾隆59年(1794年)、循妃に冊封される。

嘉慶2年(1797年)、肺結核により逝去し、裕陵の妃園寢に葬された。

乾隆帝が正式に循妃を循貴妃に追贈したという記録はないが、『昌瑞山万年統志』、『清皇室四譜』などの清代の資料には循貴妃の名で記されている。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  循貴妃のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「循貴妃」の関連用語

循貴妃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



循貴妃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの循貴妃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS