左内神社とは? わかりやすく解説

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左内神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/24 03:31 UTC 版)

左内神社

鳥居と拝殿
所在地 静岡県三島市中島310-2
位置 北緯35度5分39.7秒 東経138度55分55.8秒 / 北緯35.094361度 東経138.932167度 / 35.094361; 138.932167座標: 北緯35度5分39.7秒 東経138度55分55.8秒 / 北緯35.094361度 東経138.932167度 / 35.094361; 138.932167
主祭神 阿米都瀬氣多知命
社格 式内社、旧村社
例祭 7月17日
地図
左内神社
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左内神社(さないじんじゃ)は、静岡県三島市中島に鎮座する神社[1]

概要

三島市の中島地区の南西、御殿川と中島公民館の狭間に鎮座している。

式内社である文梨神社(ふみなしじんじゃ)/父無神社(ちちなしじんじゃ)、あるいは阿米都瀬気多知命神社(あめつせけたちのみことじんじゃ)に比定されている[2][3]

創建は不詳だが、かつてはその名の通り、三嶋大社の参道でもある旧下田街道の東側(三嶋大社から見て左側)に鎮座していたとされる[2]

具体的には、元来は現在地より北方、中地区の手無(てなし)地蔵の付近に鎮座していたとされ、一説には手無(てなし)も、父無(ちちなし)(→文梨(ふみなし))も、父梨/父無(ててなし)が訛ったものとされる[2]

そこから南方の現・中島浄水場付近に遷座したが(石碑あり)、明治19年(1886年)2月に火災に遭い、建物を全部焼失し、宝物、古文書を全部失ってしまう[2][3]。その後、明治20年(1887年)4月に現地に移転新築し、昭和16年(1941年)に改築され今日に至っている[3]

祭神

  • 阿米都瀬気多知命(あめつせけたちのみこと)

脚注

  1. ^ 左内神社 - 静岡県神社庁
  2. ^ a b c d 左内神社 - 三島市
  3. ^ a b c 神社 - 三島市

関連項目

外部リンク




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