川島兼松とは? わかりやすく解説

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川島兼松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/09 07:17 UTC 版)

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川島 兼松(かわしま かねまつ、1836年8月31日天保7年7月20日) - 没年不詳)は、日本の建築技師。旧名専之助、東京府平民。

経歴

1873年(明治6年)宮内省雇。明治10年からは開拓使雇。1878年(明治11年)5月開拓使御用掛として札幌在勤申付となり工業局営繕課勤務を拝命した。1881年(明治14年)10月被免。

1882年(明治15年)6月からは皇居造営事務局建築課雇。7月御用掛・建築掛設計方となる。工事完了後も1887年(明治20年)7月十一等出仕,同年12月四等匠手、1888年(明治21年)9月内匠四等技手として内匠寮にとどまった。

参考文献

  • 9072 明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯 : 相模国大山大工・手中家の日記から(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会) 小沢 朝江 学術講演梗概集 2012(建築歴史・意匠), 143-144, 2012年9月
  • 東京都立中央図書館木子文庫所収の明治宮設計図書に関する研究 藤岡洋保 , 斉藤雅子 , 稲葉信子 『日本建築学会環境系論文集』 431(0), 137-146, 1992年
  • 桑原稔氏「赤城南麓民家における平面と構造の年次的変遷について (No.1)-広間型について」質疑 城戸久 『日本建築学会構造系論文集』 201(0), 94-95, 1972年
  • 小野木重勝、「遠藤明久博士のご質疑に対する回」 『日本建築学会構造系論文集』 1972年 201巻 p.93-94
  • 小沢朝江、「明治宮殿造営組織における図工の職務と就業状況」 『日本建築学会技術報告集』 2013年 19巻 42号 p.757-760, doi:10.3130/aijt.19.757
  • 小野木重勝、皇居造営機構と技術者構成 『日本建築学会論文報告集』 1972年 195巻 p.75-81,98, doi:10.3130/aijsaxx.195.0_75
  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。



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