山内豊次
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 延宝5年(1677年) |
死没 | 元禄2年(1689年) |
改名 | 国助(幼名)、豊次 |
藩 | 土佐中村藩世嗣 |
氏族 | 土佐山内氏 |
父母 | 山内豊定 山内豊明 |
兄弟 | 直明、豊次、板倉重高正室ら |
山内 豊次(やまうち とよつぐ)は、江戸時代前期の土佐国中村藩世嗣。
略歴
2代藩主・山内豊定の次男。幼名は国助。3代藩主・山内豊明の養嗣子。
豊次が生まれた年に父・豊定が没したため、叔父・豊明が家督を継ぎ、豊次はその養子となる。貞享2年(1685年)に5代将軍・徳川綱吉に御目見するが、家督を相続することなく元禄2年(1689年)に13歳で早世した。
代わって、豊明の実子で豊次の従兄弟にあたる豊成が嫡子となった。
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