小石殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 14:08 UTC 版)
小石殿(? - 寛文元年8月16日(1661年9月20日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。石田三成とその正室・皎月院(後年の史料では無量院ともされる)の間に生まれた次女。
生涯
文禄2年(1593年)9月以前から慶長4年(1599年)8月まで、豊臣秀吉の正室・北政所(高台院)のもとに仕えていたことが記録されている。
慶長4年(1599年)8月、小石殿は会津若松へ戻る直江兼続に託され、上杉家に仕えていた岡重政に嫁いだ。
その後、慶長18年(1613年)12月8日、夫の岡重政は徳川家康により駿府に召喚され、切腹を命じられている。小石殿はこの際、重政との間に生まれた子・岡吉右衛門(石田三成の孫)を、町野幸和とその妻・祖心尼のもとへ託した。
その後、小石殿は岡重政の縁者である岡定俊夫妻と共に、四男一女の子どもたちを伴い故郷の小浜に戻ったとされる。
寛文元年(1661年)8月16日に没し、戒名は「光岳院妙和□□」とされ、福井県小浜市の本境寺塔頭・受照院に葬られた。享年79歳[1]。
脚注
- ^ 白川亨『石田三成とその子孫』新人物往来社物、72-73,130-132,148-149頁。
参考文献
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