孫襄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孫襄の意味・解説 

孫襄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/20 10:31 UTC 版)

孫 襄(そん じょう)は、古代中国の前漢時代の人物である。生年不明、紀元前104年死。番禺で反乱を起こした。臨蔡侯

解説

父の孫都はもと南越の役人で、南越が漢に攻められたとき、寝返って南越の相を捕え、その功績で南越滅亡後に漢の武帝により臨蔡侯に封じられた[1][2]

漢書』景武昭宣元成功臣表によれば、孫襄は父の後を嗣いで侯となったが、太初元年(紀元前104年)に「番禺を撃ち、人を奪い、虜掠(掠奪)」した罪で死んだ[3]。番禺は当時の南海郡、今の広東省にあり、かつて南越の都だったところである[4]。この反乱についてはこの簡略な記載があるだけで、他に情報がない。

脚注

  1. ^ 『史記』巻113、南越列伝第53。ちくま学芸文庫『史記』7の281 - 283
  2. ^ 『漢書』巻95、西南夷両粤朝鮮伝第65、南越。ちくま学芸文庫『漢書』8の30 - 32頁。
  3. ^ 『漢書』巻17、景武昭宣元成功臣表第5、臨蔡侯孫都。
  4. ^ 『漢書』巻28、地理志第8下、南海郡。ちくま学芸文庫『漢書』3の415頁。

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  孫襄のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孫襄」の関連用語

1
臨蔡侯 百科事典
34% |||||

2
孫都 百科事典
12% |||||

孫襄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孫襄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孫襄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS