多磨学院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/10/02 15:32 UTC 版)
多磨学院(たまがくいん)は、かつて東京都府中市にあった中学・高校受験のための学習塾である。塾訓は「頂に立つ」「不屈の魂」「友情」であった。
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所在地
- 本部教室
- 東京都府中市府中町1-25-19
- 旧教室
- 東京都府中市府中町2-10-6
- 東府中教室
- 東京都府中市清水が丘1-3-8
本部教室は、株式会社トヨフレックス本社となっており、当時の建物は現存している。
概要
強烈な個性の塾長の経営による、いわゆる個人塾である。しかしながら、1学年60名前後の塾生から毎年開成高校に5~10名程度を輩出しており、個人塾の域を超えた実績を残していた。講師の殆どは塾OBの大学生であり、講師達は大学生活のほとんど全てを投げ打ち塾生の指導にあたっていた。
指導内容は現在では考えられないような、俗に言うスパルタ式のものであり、部屋を真っ暗にして怒号とともに机を蹴り倒すということは日常茶飯事であった。また塾長は登山をこよなく愛しており、塾生達は塾所有のマイクロバスに乗せられて「山行」に半ば強制的に連行された。しかしながら、山行は塾生達の友情の絆を深め、またその後の塾生達の人生に思い出という意味も含め少なからず影響を与えているはずである。更に、奥多摩および八ヶ岳(1984年に新築)に山荘を所有しており、夏休みを中心に合宿授業が行われていた。
日常的にオルグと称して気合を入れるための集会を廊下で行っていた。この場では講師が金切り声で訓示をし、気合を入れ、最後は「ファイトコール」で〆るのが通例であった。ファイトコールは全員が両膝に手を乗せた状態の前傾姿勢をとり、代表者(講師の場合もあれば塾生の場合もあり、何人もで回していくこともあった)が「多磨塾第**期~ファイッ」と口火を切ると全員が続けて「ファイッ」と代表者と交互に連呼し、最後に再び代表者の「多磨塾第**期~ファイッ」全員で「ファイッ」で終了となる。ファイトコールはオルグのほか、山行、合宿、全塾集会などあらゆる場で行われる聖なる儀式であった。
授業
小学4年生は週4日、小学5年生~中学3年生までは週5日が基本であった。木曜日と日曜日が休みである。週4日コースも設定されていたが、実質的には恐ろしくて誰もその選択はしなかった。授業はとことんスパルタであり、怒号はもちろんのこと、消灯や机の蹴り倒しなど、今では考えられない内容であった。基本的に直接的な暴力行為はなかったが、本部教室の廊下に立たされた塾生がビンタされた際に頭を壁に打ちつけ、木製の壁に穴が開いたこともあった。またテストの直しなどその日の課題が完了するまでは帰ることも許されず、塾を出るのが23時過ぎとなることもザラであった。中学部では主に最高水準問題集を使用していたが、授業では講師が黒板に板書した問題をノートに書いて解くという反復学習が主体であった。
講師
講師はその多くが塾OBの現役大学生であった。講師は週5回の深夜におよぶ授業のほかプリント作りや採点に追われる激務であり、慢性的に寝不足であった。当然大学の授業に満足に出席できるはずがなく、留年するものも多かった。また講師は数学、英語、国語、理科、社会それぞれ教科毎に分業されていた。各講師は自分の専門教科以外の学力は低いことが多く、塾生に質問されてもわからずに、「こんな問題自分でできないのか!」などと逆切れすることも少なくなかった。
塾歌
山の友よ(成蹊大学山岳部、虹芝寮寮歌)を塾歌としており、全塾集会や山行のバスの中でテープが流され全員で合唱した。
山行
山行は主に中央道須玉インター~諏訪インター周辺の山(入笠山など)へ行っていた。日曜日の日帰りが基本であったが、中学2年の文化の日(晴れの特異日と言われる)には前夜より出発し徹夜山行が決行された。交通手段は塾所有のマイクロバスを講師が運転していたが、講師たちは慢性的な寝不足と山行の疲れから居眠り運転の危険性が極めて高かった。これを打開することも目的の一つとして、往復のバスでは常に塾長の趣味の音楽を集めたテープが大音量で流され、塾生達は大声で熱唱することが義務付けられていた。明日のジョー、野球狂の歌(エンディング)、I am Sayling、岬めぐり、季節の中で、めだかの兄弟など、全く一貫性のない選曲であったが、バスの車内はいつもそれなりに盛り上がっていた。テープには所ジョージの「冬の情景」が収録されていたが、この歌詞の中で氷が溶け出し「1枚が2枚、2枚が4枚・・・」と数える件があり、この歌で2の累乗を暗記したものも少なくない。なお、山行時には保険料として2,000円~3,000円が徴収されたが、それ以外は無料であった。
合宿
合宿は日曜日を利用するほか、3年生を主体として夏休み前半を中心に連日塾所有の山荘で行われた。特に八ヶ岳山荘ができてからは、2泊3日八ヶ岳、中1日休み、1泊2日奥多摩、中1日休み、2泊3日八ヶ岳というような、鬼のような合宿が組まれることもあった。山荘には布団はなく、塾生が各自My寝袋を持参しその中で寝た。また食事は朝食・昼食は基本的にカップラーメン(固形燃料で自炊)、夕食は各自米を持ち寄り講師がまとめて炊いたうえでレトルトカレーを固形燃料であたためて食べるという、過酷な環境であった。
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