和田孝典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 01:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | ワダ タカノリ | |||||
| ラテン文字 | WADA Takanori | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
|||||
| 生年月日 | 1964年12月4日(56歳) | |||||
| 出身地 | 京都府 | |||||
| 身長 | 171cm | |||||
| 体重 | 67kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| ユース | ||||||
| 1980-1982 | 京都商業高校 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1983-1993 | |
() | ||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||
和田 孝典(わだ たかのり、1964年12月4日 - )は、京都府出身の元サッカー選手。
ポジションは、FW。
来歴
小学生のころからサッカーを始め[1]、京都商業高校時代は、3年生のインターハイで準優勝の経験を持つ[1]。1983年、当時中国サッカーリーグ所属だった川崎製鉄水島サッカー部(現・ヴィッセル神戸)へ入部。同期の山下健二と共にクラブを支え[1]、JSL2部昇格に貢献。1987年-88年シーズンには、14得点を挙げ、JSL2部得点王となる。旧JFL2部在籍時の1993年シーズンをもって退団となった。
人物
左足のシュートと切れの鋭いドリブル突破が武器[2]。100メートル11秒6の俊足でドリブルも得意なポイントゲッター[1]。
目標とする選手は、与那城ジョージ[2]。
所属クラブ
- 1980年 - 1982年 京都商業高校(現・京都先端科学大学付属中学校・高校)
- 1983年 - 1993年 川崎製鉄水島サッカー部/川崎製鉄サッカー部(現・ヴィッセル神戸)
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1983 | 川鉄水島 | 中国 | - | ||||||||
| 1984 | 川鉄水島 | 中国 | - | - | |||||||
| 1985 | 川鉄水島 | 中国 | - | - | |||||||
| 1986-87 | 川鉄水島 | JSL2部 | |||||||||
| 1987-88 | 川鉄水島 | JSL2部 | 14 | ||||||||
| 1988-89 | 川崎製鉄 | JSL2部 | - | ||||||||
| 1989-90 | 川崎製鉄 | JSL2部 | - | ||||||||
| 1990-91 | 川崎製鉄 | JSL2部 | - | ||||||||
| 1991-92 | 川崎製鉄 | JSL2部 | |||||||||
| 1992 | 川崎製鉄 | 旧JFL2部 | 17 | 3 | - | ||||||
| 1993 | 川崎製鉄 | 7 | 旧JFL2部 | 7 | 0 | - | |||||
| 通算 | 日本 | JSL2部 | - | ||||||||
| 日本 | 旧JFL2部 | 24 | 3 | - | |||||||
| 日本 | 中国 | - | - | ||||||||
| 総通算 | |||||||||||
|
この節の加筆が望まれています。
|
タイトル
- 1987年-88年シーズン - JSL2部得点王(14得点)
脚注
関連項目
|
||||||||
- 和田孝典のページへのリンク