吉田茂への反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:51 UTC 版)
終戦直後の1946年、内務省調査局長在任中の高村は労働争議に関する治安閣僚会議にて、労働争議の中心人物の全員検挙を求めた吉田茂首相(当時)に対し「弾圧的な方法で取り締まることには、私は反対でございます」と発言した。吉田は高村の局長解任を口にするが、高村は「私の発言は正しい」と反論。会議終了後には、大村清一内務大臣(当時)から吉田への謝罪を要求されるが、高村は大村の要求を断っている。
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