吉松光久とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 吉松光久の意味・解説 

吉松光久

(吉松十左衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/27 00:59 UTC 版)

 
吉松光久
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 十右衛門(通称)
官位 備後守
主君 本山氏長宗我部元親
氏族 吉松氏
父母 吉松光義
長宗我部元親
光勝
テンプレートを表示

吉松 光久(よしまつ みつひさ)は、戦国時代武将長宗我部氏の家臣。通称は十右衛門

略歴

吉松氏は清和源氏の後裔で土佐国国人土佐郡に影響力を持つ泰泉寺氏の一族でもある。

始め土佐長岡郡を支配する本山氏に仕えて土佐郡朝倉の万々城主であったが、長宗我部元親の攻撃を受けて降伏し家臣となった。後に元親の娘を正室として娶り姻戚関係となり、活躍したといわれるが、永禄6年(1563年)に子・光勝が土佐郡大河内城主となっていることから、早くに没したものと思われる。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「吉松光久」の関連用語

吉松光久のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



吉松光久のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの吉松光久 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS