古澤悌次とは? わかりやすく解説

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古澤悌次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 15:48 UTC 版)

古澤 悌次(ふるさわ ていじ、1902年明治35年)9月18日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚

経歴・人物

富山県富山市出身[1]1925年大正14年)台北高等商業学校を卒業する[1]1930年(昭和5年)2月、台湾総督府属を拝命し、殖産局勤務となる[1]

1941年(昭和16年)6月、地方理事官に進み、台北州蘇澳郡守に就任した[1][2]。のち台南州曽文郡守に転じた[3]

脚注

  1. ^ a b c d e 興南新聞社 1943, 354頁.
  2. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和16年』、415頁。
  3. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和18年』、229頁。

参考文献




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