北角源兵衛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 北角源兵衛の意味・解説 

北角源兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 07:17 UTC 版)

北角 源兵衛(きたずみ げんべえ、 ? - 元治元年3月18日1864年4月23日[注釈 1])は、江戸幕府の幕臣、大坂東町奉行所与力[1]

暗殺

元治元年3月18日、源兵衛は大坂平野町渡辺筋西入ル辺の「菖蒲橋と申す御霊裏門[注釈 2]」で斬殺され、首を切断されたあと、遺骸はその場に残された[1]

首は西横堀川助右衛門橋の欄干にさらされた。その場に建てられた捨札には、

東与力 北角源兵衛

此者、是迄上には尊王攘夷を唱へ、内には奸謀を逞し、無罪之者を殺害致し、甚敷に至ては強富之町人へ致狼藉、無実之事を申洩し、天下之人心を惑乱致させ天地に不可容罪人に候間、加天誅、同類追々探索次第、可加誅罰事。

元治元年三月十八日

と書かれていたという[注釈 3]。この札に書かれていたことが事実かどうかは不明である[1]

しかし、『島津家国事鞅掌史料』『寒胆帖』『平野屋武兵衛日記』などには、この死体は浪人者で身元は不明としており、罪状書には名前は記されていなかった。幕末史研究家の菊地明は、『官武通紀』や『野分のあと』に「大坂東町奉行組与力北角源兵衛」と書き添えられていたのは、事件後に身許が判明したために、名前を書き加えたのではないかと推測している[2]

脚注

注釈

  1. ^ 『島津家国事鞅掌史料』によれば、「(死亡時の)年齢三十二、三才くらい」とある。
  2. ^ 中央区淡路町にある御霊神社の裏門付近。
  3. ^ 『甲子雑録』。

出典

  1. ^ a b c 「北角源兵衛」明田鉄男編 『幕末維新全殉難者名鑑』 1巻 新人物往来社、205頁。神谷次郎/安岡昭男編集『幕末維新史事典』新人物往来社、141頁。平尾道雄『維新暗殺秘録』新人物往来社、128頁、264頁。菊地明『幕末天誅斬奸録』新人物往来社、146頁。
  2. ^ 菊地明『幕末天誅斬奸録』新人物往来社、146頁。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  北角源兵衛のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北角源兵衛」の関連用語

北角源兵衛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北角源兵衛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北角源兵衛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS