勝岡八幡神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 勝岡八幡神社の意味・解説 

勝岡八幡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/21 02:01 UTC 版)

勝岡八幡神社

勝岡八幡神社
所在地 愛媛県松山市勝岡町2592
位置 北緯33度53分47.32秒 東経132度43分27.67秒 / 北緯33.8964778度 東経132.7243528度 / 33.8964778; 132.7243528座標: 北緯33度53分47.32秒 東経132度43分27.67秒 / 北緯33.8964778度 東経132.7243528度 / 33.8964778; 132.7243528
主祭神 小千命
応神天皇
仲哀天皇
社格 郷社
本殿の様式 八幡造
主な神事 神輿の一体走り
テンプレートを表示

勝岡八幡神社(かつおかはちまんじんじゃ)は、愛媛県松山市の勝岡町にある神社である。

祭神

小千命 別名 孝霊天皇御孫小千御子(オチノミコ) 
応神天皇 別名 品陀和気命(ホンダワケノミコト) 
仲哀天皇 別名 帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト) 
神功皇后 別名 息長帯日賣命(オキナガタラシヒメノミコト) 
日賣大神 別名 多岐津姫命(タキツヒメノミコト)多岐理姫命(タギリヒメノミコト)市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)の三女神

概要

千数百年前の応神天皇の時代に当地を襲った兇賊を小千命(おちのみこと)がここ白人(うらと)城に拠って討ちとり里人の危急を救った為、この地を勝岡と名づけるとともに、小千命を敬慕の余り後に祭神として太山寺字小山の中野山に社を創り白人の宮と称え祀っていたが、永享年間(1429年から1441年)戦火でことごとく焼失の後も霊験あらたかなゆえ、小千命の縁(ゆか)りの城跡で戦場の地である勝岡に構想を大にして遷宮と同時に宇佐八幡を勧請し名を勝岡八幡宮と改称した[1]

名所

  • 馬場の松:一の鳥居と二の鳥居の間に、天下に類なき雄大な松並木の馬場として景観美を誇っていたが、昭和時代に勢いが衰え全滅した。
  • 一体走り:松山市指定無形民俗文化財(昭和48年8月19日指定)秋の祭礼の10月7日に行われる神輿のかき競べで、社頭からお旅所までの参道約100mあまりを、褌姿に襷掛けの青年10人が一体の神輿をかついで神輿を上下左右に動揺させぬように、美しいフォームで早く走ることを6地区で競う[2]

摂社

  • たごり神様:風邪でたごり(咳き込む)が止まらない孫のためにお祖母さんが三日間お参りを続けると治ったという祠で、町内の民家の前にあったが、100年ほど前に境内に移された。
  • 柳原霊社

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 現地案内の石碑より
  2. ^ https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/shi/ittaibashiri.html


このページでは「ウィキペディア」から勝岡八幡神社を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から勝岡八幡神社を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から勝岡八幡神社 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勝岡八幡神社」の関連用語

勝岡八幡神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勝岡八幡神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの勝岡八幡神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS