劉広徳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉広徳の意味・解説 

劉広徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 00:00 UTC 版)

劉 広徳(劉廣德、りゅう こうとく、527年 - 569年)は、南朝梁からにかけての軍人本貫南陽郡安衆県。西晋の鎮東将軍の劉喬の九世孫にあたる。

経歴

梁の安西湘東王長史・南郡太守の劉之亨(劉虯の子)の子として生まれた。学問を好み、才能への自負が強かった。承聖年間、軍功により給事黄門侍郎・湘東郡太守に任じられた。西魏軍の攻撃により江陵が陥落すると、広徳は王琳に従った。王琳が陳に敗れて北斉に逃亡すると、広徳は陳の文帝に降って、その旧兵を領したまま寧遠始興王府限外記室参軍となった。まもなく太尉侯瑱の下で湘州府司馬となり、楽山郡太守・豫章郡太守・新安郡内史を歴任した。光大年間、仮節・員外散騎常侍・雲旗将軍・河東郡太守となった。

太建元年(569年)、河東郡で死去した。享年は43。左衛将軍の位を追贈された。

伝記資料

  • 陳書』巻18 列伝第12
  • 南史』巻50 列伝第40



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉広徳」の関連用語

1
8% |||||

劉広徳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉広徳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉広徳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS