佐藤与助とは? わかりやすく解説

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佐藤与助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 01:30 UTC 版)

佐藤 与助(與助)(さとう よすけ、1890年11月1日[1] - 1971年)は、日本資源工学者。専門は採炭学、及び日本の炭鉱・炭田に関する史的研究。

経歴・人物

三宅長市の三男として福岡市に生まれ、炭鉱経営者で篤志家であった佐藤慶太郎の養子となる[1]。1910年福岡県立中学修猷館[2]、1913年7月第五高等学校工科[3]を経て、1916年7月九州帝国大学工学部採炭学科を卒業[4][1]

卒業後、九州帝国大学工学部講師となり、1918年9月採炭学研究のため欧米に留学、1920年6月に帰国後、明治専門学校(現・九州工業大学)の教授に就任し、鉱山学科長、および採炭学科長を務めた。その後、東北帝国大学工学部講師を経て、1947年9月同教授に就任、1948年8月同鉱山学科主任教授となる[1]。1954年停年により退官[5]

父・慶太郎が設立した、日本生活協会長、日本生活学院長、佐藤新興生活館(現・山の上ホテル)長、佐藤育英財団理事長なども務めた[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 『人事興信録第16版』(人事興信所、1951年) サ-24頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員8頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)250頁
  4. ^ 『九州帝国大学一覧(昭和14年)』(九州帝国大学、1939年)444頁
  5. ^ 『人事興信録第25版』(人事興信所、1969年) サ-81頁



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