佐久間勝種とは? わかりやすく解説

佐久間勝種

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/11 11:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

佐久間 勝種(さくま かつたね、生没年不詳)は、江戸時代の人物。佐久間氏の一族。信濃長沼藩佐久間勝之の3男。通称は源四郎。子の佐久間盛遠は、甥の佐久間勝興の養子になっている。 慶安3年(1650年)閏10月9日、将軍徳川家光浅草鷹狩りに赴く途上で駕籠訴を行い、出仕を願った。[1]これが許され、同月14日、御書院番に列せられ蔵米300俵を賜る。

天和2年(1682年)8月11日、番頭組頭からの訴えにより取り調べを受け、牧野教成にお預けとなり、21日に遠流となった。

脚注

  1. ^ 「史料稿本」東京大学史料編纂所 慶安3年閏10月9日条

出典

参考文献

  • いいづな歴史ふれあい館特別展図録『飯綱の地をひらいた“殿様”‐佐久間兄弟と長沼藩・飯山藩』2015年




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐久間勝種」の関連用語

佐久間勝種のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐久間勝種のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐久間勝種 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS