佐々木康元とは? わかりやすく解説

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佐々木康元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 00:04 UTC 版)

佐々木 康元(ささき やすもと、1970年 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手、指導者。日本大学文理学部卒業。日本大学フェニックスの主将として、1999年に甲子園ボウル優勝を果たした。また、日本代表のキャプテンとして1999年・2003年のアメリカンフットボールワールドカップで連覇に貢献した。

来歴

高校・大学時代

東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校を卒業後、日本大学文理学部に進学。アメリカンフットボール部「フェニックス」に所属し、主将として活躍。1999年には甲子園ボウルで優勝し、大学日本一に輝いた。

日本代表として

1999年に開催された第1回アメリカンフットボールW杯(イタリア・パレルモ)および2003年の第2回大会(ドイツ・フランクフルト)において、日本代表のキャプテンを務め、両大会で優勝を果たした。

社会人リーグ・指導歴

卒業後は社会人Xリーグのアサヒビールシルバースターに加入。引退後は同チームのヘッドコーチに就任し、チーム再建に尽力した。

評価

プレースタイルは、卓越したスピードとQBへのチェイス能力に特徴があり、「東の佐々木、西の脇坂」と称されることもある。知名度と実績を兼ね備えたレジェンドとして、現在もアメフト関係者から高い評価を受けている。

メディア・著作

  • 月刊『トレーニング・ジャーナル』2003年7月号にて、寄稿「自分を磨く」[1]が掲載された。

人物

見た目はスマートだが、熱意と泥臭さを持ち合わせた情熱的な人物として知られ、現役時代から後進育成に情熱を注いでいた。

関係者

  • 関 孝英(せき たかひで) - 1988年度に日本大学フェニックスの主将を務め、甲子園ボウルおよびライスボウルを制覇した。卒業後は佼成学園高等学校アメリカンフットボール部LOTUSのディフェンスコーチとして、小林孝至監督らと共にチーム強化に貢献。
  • 小林 孝至(こばやし たかし) - 日大フェニックス同期でランニングバック(RB)、その後アサヒビールシルバースターに所属。現在はLOTUS監督として、部を全国強豪へ育成。
  • 佐々木 敬尊(ささき けいそん) - 佐々木康元の実子。佼成学園高等学校LOTUS元キャプテン、現在は中央大学アメリカンフットボール部RACCOONSのディフェンスラインDLとしてプレー。

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ “自分を磨く”. トレーニング・ジャーナル (ブックハウスHD). (2003-07). https://www.bookhousehd.com/tj/tj2003-07.php. 



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