会津定重とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 会津定重の意味・解説 

会津定重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/08 22:13 UTC 版)

会津 定重 (あいづ さだしげ、? - 1638年3月11日寛永15年2月6日))は、江戸時代前期の人物。会津刑部(あいづ ぎょうぶ)の名で多くの史料に見られる。

前歴不明。島原の乱において一揆勢に組した。原城籠城の際は使武者の肩書きをもって本丸を守備した。

有馬直純の矢文がきっかけで、上役の山田右衛門作や坂部源八らと一揆勢からの離反の画策をする。しかし、事が発覚すると即座に捕らえられ、晩になって源八とともにを刎ねられた(『寛明日記』)。

出典

  • 『Q&A 天草四郎と島原の乱』(熊本出版文化会館、2008年、鶴田倉造/著)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

会津定重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



会津定重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの会津定重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS