伊澤平馬とは? わかりやすく解説

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伊澤平馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/23 23:21 UTC 版)

伊澤 平馬(いさわ[1] / いざわ[2] へいま、1887年明治20年)5月10日[3] - 1940年昭和15年)4月1日[2][4])は、明治から昭和期の実業家政治家貴族院多額納税者議員

経歴

宮城県仙台区(現仙台市)で実業家・伊澤平左衛門の三男として生まれる[3]。1907年(明治40年)宮城県立仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を卒業[2][5][注釈 1]。また、醸造試験所(現酒類総合研究所)講習所を修了した[5]

1907年以降、家業の酒造業に従事[2][3]。また、仙台平機業社長、仙台染織製綿社長、東北貯蓄銀行取締役、七十七銀行取締役、宮城銀行取締役、仙台瓦斯取締役、仙北鉄道取締役、宮城電気鉄道取締役などを務めた[3][2][5]。その他、宮城県連合保護会理事、吉田高等女学校(現聖和学園高等学校)理事長、第二中学校奨学会監事、日本赤十字社宮城県支部商議員、仙台市社会事業協会委員、仙台育英会評議員、仙台市政振興会委員、警防団長なども務めた[2][5]

1939年(昭和14年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され[6]、同年9月29日に就任し[7]研究会に所属して死去するまで在任した[2][4][6]

脚注

注釈

  1. ^ 『大衆人事録 関東・奥羽・北海道篇』宮城4頁では県立一中卒業。

出典

  1. ^ 「伊澤平左衛門」『宮城県百科事典』37頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』185頁。
  3. ^ a b c d 『大衆人事録 関東・奥羽・北海道篇』宮城4頁。
  4. ^ a b 『官報』第3972号、昭和15年4月5日。
  5. ^ a b c d 『貴族院要覧(丙)』昭和14年12月増訂、265頁。
  6. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
  7. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。

参考文献

  • 貴族院事務局編『貴族院要覧(丙)』昭和14年12月増訂、貴族院事務局、1936年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 関東・奥羽・北海道篇』帝国秘密探偵社ほか、1940年。
  • 貴族院事務局編『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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