中華民族反英美協会
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中華民族反英美協会(ちゅうかみんぞくはんえいびきょうかい)は汪兆銘政権の組織であり、1942年2月24日に上海に発足した [1][2]。ハミルトン・ハウスに本部を構えた[3]。
中華民族反英美協会は1942年4月に「民族復興叢書」を出版し、英米の中国に対する侵略活動を紹介した[4]。1942年8月11日、中華民族反英美協会の幹部がインド反英独立大会を出席した[5]。
出典
- ^ 雷颐. “狭隘民族主义是中国近代进步的重要障碍”. 澎湃新闻. 2021年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月23日閲覧。
- ^ 裴京汉 (2004) (中国語). 从韩国看的中华民国史. 社会科学文献出版社. ISBN 978-7-80190-143-9. オリジナルの2021-07-06時点におけるアーカイブ。 2021年6月23日閲覧。
- ^ 鸦片战争史画. 上海: 中华民族反英美协会. (1942)
- ^ “民国时期“中华民族复兴”观念之历史考察”. 中国人民大学清史研究所. 2021年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月23日閲覧。
- ^ “印度反英独立运动大会”. 上海年华. 2021年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月23日閲覧。
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