三浦重次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/01 08:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 天和3年(1683年) |
死没 | 元禄8年5月24日(1695年7月5日) |
別名 | 内膳(通称) |
藩 | 日向延岡藩世嗣 |
氏族 | 三浦氏 |
父母 | 三浦明敬 |
兄弟 | 重次、明喬、明胤、義理ら |
三浦 重次(みうら しげつぐ)は、江戸時代前期の日向国延岡藩の世嗣。通称は内膳。
略歴
延岡藩主(のち三河国刈谷藩初代藩主)三浦明敬の次男として誕生。
下野国壬生藩主(のち延岡藩主)の嫡子として育ち、元禄7年(1694年)に5代将軍・徳川綱吉に拝謁した。しかし、翌元禄8年(1695年)に13歳で早世した。代わって、弟・明喬が嫡子となった。
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