ヴィクトルボリソフ=ムサトフとは? わかりやすく解説

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ヴィクトル・ボリソフ=ムサトフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 05:50 UTC 版)

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ヴィクトル・ボリソフ=ムサトフ
Victor Borisov-Musatov
自画像
生誕 1870年4月14日
ロシア,サラトフ
死没 1905年10月26日
ロシア, タルーサ

ヴィクトル・ボリソフ=ムサトフ(Victor Elpidiforovich Borisov-Musatov、ロシア語:Ви́ктор Эльпидифо́рович Бори́сов-Муса́тов1870年4月14日 - 1905年10月26日)はロシアの「ポスト印象派」の画家である。

略歴

サラトフに生まれた。父親は鉄道会社の職員だった[1]。子供時代に脊椎のケガを負い、生涯、後遺症に苦しめられた。中学校で教師に絵の才能を認められ、サラトフの美術学校、モスクワの美術学校で学んだ後、サンクトペテルブルクの帝国美術アカデミーに入学し、パヴェル・チスチャコフに学んだ。サンクトペテルブルクの気候が体に合わないため1893年にモスクワに戻り、1895年からパリに修業に出た。

パリではフェルナン・コルモンの画塾に入り、3年間、フランスの有望な画家たちと学んだ。象徴主義の画家、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌや印象派の画家、ベルト・モリゾの作品から影響を受けた。1895年にはクリミアやコーカサスを旅した。

ロシアに戻った後、サラトフで活動し、しばらく絵が売れない時代があった。美術雑誌『芸術世界』を中心とする芸術家たちと親しくなり、「ロシア美術家連盟」の会員になった。この頃油絵から、パステルや水彩を使った作品を描くようになった。1903年からポドルスクに住み、 1905年からタルーサに住んだ。 1904年にはドイツで1905年はパリの展覧会に出展した。

1905年に心臓麻痺で死去した。35歳であった。

作品

脚注

  1. ^ Il ajoute le nom de Borissov qui reprend le nom de baptême de son grand-père, Boris Alexandrovitch Moussatov, qui l'avait marqué dans sa jeunesse

参考文献

  • Great Soviet Encyclopedia : [in 30 volumes] / ed. A.M. Prokhorov - 3rd ed. - M .: Soviet Encyclopedia , 1969.
  • Encyclopedia of Russian Painting / O. Yu. Nikolaev. - "OLMA Media Group", 2010. - P. 52. - 496 p. - ISBN 978-5-373-02769-4



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