ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)の意味・解説 

ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 06:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ヴァシリー・ミハイロヴィチ
Василий Михайлович
カシン公
在位 1389年 - 1426年

出生 1364年
死去 1426年?
配偶者 アナスタシヤ
家名 リューリク家
父親 トヴェリ大公ミハイル
母親 エヴドキヤ・コンスタンチノヴナ
テンプレートを表示

ヴァシリー・ミハイロヴィチロシア語: Василий Михайлович1364年 - 1426年?)は、史上最後のカシン公である。在位:1389年 - 1426年(クスニャティン公を兼ねる)。なお、カシン公には同名・同父称の人物が3名おり、初代カシン公ヴァシリー、4代目カシン公ヴァシリーと区別するため、「Василий Михайлович Ⅲ(ヴァシリー・ミハイロヴィチ3世)」と記述されることがある [1]

ヴァシリーはトヴェリ大公ミハイルとその妻エヴドキヤ(スーズダリ公コンスタンチン(ru)娘)との間の子である。1399年に父ミハイルが死ぬと、カシンカシン公国)、クスニャティンを受領した。

1426年にトヴェリ大公となったボリス(ru)に捕縛され、カシン公位を剥奪された。ヴァシリ-のその後は不明である。ヴァシリー以降、カシン公が立てられることはなかった。

妻アナスタシヤはキエフ公ヴラディミラスリトアニア大公国アルギルダス家)の娘で、1396年に死亡した。また、ドミトリーという息子がいた。

出典

  1. ^ Экземплярский А. В. Великое княжество Тверское с его уделами
先代:
ボリス・ミハイロヴィチ
カシン公
1389年 - 1426年
次代:



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴァシリー・ミハイロヴィチ (カシン公3世) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS