ローマのアパートの窓辺のゲーテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/25 14:13 UTC 版)
ドイツ語: Goethe am Fenster seiner römischen Wohnung. | |
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作者 | ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン |
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製作年 | 1787年 |
種類 | 水彩、チョークおよびペン、紙 |
寸法 | 41.5 cm × 26.6 cm (16.3 in × 10.5 in) |
所蔵 | フランクフルト・アム・マイン、Goethe House(Freies Deutsches Hochstift) |
『ローマのアパートの窓辺のゲーテ』(ローマのアパートのまどべのゲーテ、独: Goethe am Fenster seiner römischen Wohnung)は、ドイツの画家、ヨハン・ハインリヒ・ティシュバインが1786年から1787年に制作した水彩画である。ローマに旅したヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが、ローマで活動していた芸術家たちと同居していたアパートの窓からローマの街を見下ろすゲーテの後ろ姿を描いている。1955年からフランクフルト・アム・マインの「自由ドイツ財団(Freies Deutsches Hochstift)」が所有している.[1]。
概要
ティシュバインは、ゲーテの推薦でザクセン=ゴータ=アルテンブルク公エルンスト2世から奨学金を受け、1783年にイタリアに修行に出て1799年まで滞在した[2] 。ローマでは、ティッシュバインは、画家のフリードリヒ・ビュリー、ヨハン・ハインリヒ・マイヤー、ヨハン・ハインリヒ・リプス(Johann Heinrich Lips)、ヨハン・ゲオルク・シュッツ(Johann Georg Schütz)といったドイツ語圏の画家たちとローマ中心部のコルソ通り(Via del Corso)の住まいを共有した[1] 。
ゲーテは37歳になった1786年から1788年まで最初のイタリア旅行をして、『イタリア紀行』を著した。ゲーテは1786年10月にティシュバインらのアパートに滞在し、南イタリアへの旅した期間を除き、1年以上ローマに滞在した。この間、ティシュバインは窓辺に立つゲーテを水彩で描き、より有名なゲーテの肖像画の大作の『ローマ、カンパーニャのゲーテ(Goethe in der römischen Campagna)』(油絵: 1878)や『呪われた第二の枕(Das verfluchte zweite Kissen)』というローマで購入した胸像などに囲まれたベッドの枕をなおすゲーテの姿を描いた素描『呪われた第二の枕(Das verfluchte zweite Kissen)』を制作した。
20世紀の末に、この建て物は改修されて「ゲーテ邸美術館」(Museo della casa di Goethe)となり、ゲーテのイタリア紀行などの書籍や、友人たちの資料や作品、ゲーテを題材にした現代美術家の作品なども展示されている。アパートの間取りの調査からこの絵のゲーテは寝室の窓辺からフォンタネッラ通り(Via Fontanella)を見下ろしていると考えられている[1]。
関連する絵画
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ティシュバイン作『ローマ、カンパーニャのゲーテ』
-
ティシュバイン作『呪われた第二の枕(Das verfluchte zweite Kissen)』
脚注
- ^ a b c Hennig & Struck 2022, p. 116.
- ^ Biographische Daten 1986, p. 252.
参考文献
- Hennig, Mareike; Struck, Neela (2022). "Freiheit und Idealität - Schweiz und Italien". Zeichnen im Zeitalter Goethes (in German). Munich: Hirmer Verlag. ISBN 978-3-7774-3976-1.
- "J.H.W. Tischbeins biographische Daten". J.H.W. Tischbein (in German). Neumünster: Karl Wachholtz Verlag. 1986. pp. 251–255. ISBN 3-529-02545-3.
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