ロバート・ド・ヴィアー (第19代オックスフォード伯)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 11:16 UTC 版)
| ロバート・ド・ヴィアー Robert de Vere |
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| 第19代オックスフォード伯 | |
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| 在位 | 1625年 - 1632年 |
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| 出生 | 1575年8月23日以降 |
| 死去 | 1632年8月7日(56歳没) |
| 配偶者 | ベアトリス・ファン・ヘンメマ |
| 子女 | オーブリー |
| 家名 | ド・ヴィアー家 |
| 父親 | ヒュー・ド・ヴィアー |
第19代オックスフォード伯ロバート・ド・ヴィアー(Robert de Vere, 19th Earl of Oxford, 1575年8月23日以降 - 1632年8月7日)は、イングランド王国の軍人。息子オーブリーを最後に同家のオックスフォード伯は断絶した。
生涯
ロバートは、ヒュー・ド・ヴィアー(第15代オックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアーの孫)とエレノア・ウォルシュの息子である。第18代オックスフォード伯ヘンリー・ド・ヴィアーの又従兄弟にあたる[1]。
1625年6月2日から9日の間に第18代伯ヘンリーが亡くなると、ロバートが伯位の法定相続人となった[1]。ロバートの爵位は第15代オックスフォード伯の子孫であることによるものであったが、爵位はすぐには認められなかった。しかし、最高裁判所長官のサー・ラヌルフ・クルーは、有名な「時の流れは巡る」判決の中で、ロバートの爵位への権利を認めた。ロバートはイングランド国内に十分な財産を持っていないとみなされ、1626年4月の貴族院における長い議論の末、ようやく爵位と議会への出席権を獲得した[2]。その後、ロバートはネーデルラントの故郷に戻り、そこでオランダ軍の兵士として経験を積んでいた[2]。ロバートはアメルスフォールトに駐屯する中隊の隊長を務めた。
ロバートはオランダ貴族のシエルク・ファン・ヘンメマの娘、ベアトリス(またはバウク)と結婚した[3]。1632年、ロバートはマーストリヒト包囲戦に参加中に戦死した[2]。その爵位は5歳の息子オーブリーに継承され、オーブリーは600年近く続くオックスフォード伯ド・ヴィアー家の最後の男系子孫となった[2]。
脚注
- ^ a b Stater, Victor (September 2004), “Vere, Henry de, eighteenth earl of Oxford (1593–1625)”, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford: Oxford University Press 2008年11月14日閲覧。
- ^ a b c d Stater, Victor (September 2004), “Vere, Aubrey de, twentieth earl of Oxford (1627–1703)”, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford: Oxford University Press 2008年11月14日閲覧。
- ^ Wierstra, Simon (オランダ語), Genealogie van het adellijk geslacht van Hemmema, Simon Wierstra, オリジナルの22 December 2008時点におけるアーカイブ。 2008年11月14日閲覧。
| イングランドの爵位 | ||
|---|---|---|
| 先代 ヘンリー・ド・ヴィアー |
オックスフォード伯 1625年 - 1632年 |
次代 オーブリー・ド・ヴィアー |
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