ロシア・カザン戦争 (1478年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/16 02:14 UTC 版)
1469年の和平締結後、年代記ではカザン・タタール人の襲撃に関する報告が8年間空白となっていた。
1478年1月にカザン・ハン国にて、モスクワ大公イヴァン3世大帝がノヴゴロド共和国の遠征に敗北し、全軍を喪失し、尚且つ負傷してモスクワに逃走したとの知らせが入った(後に虚報であるこが判明する)。機会を活かそうと、カザン軍はヴャトカへの遠征を行い、同都市を落とすことは出来なかったものの周囲を荒らし回った。また、ウスチュグまで到達しようとしたものの、マローマ川の氾濫が進軍を妨げた。数週間後にモスクワ軍の敗北が虚報であることを知ったタタール軍はヴャトカから撤退した。
タタール人の軍事行動に対する返答としてイヴァン3世は、セミョーン・イヴァノヴィチ・リャポロフスキーとヴァシーリー・フョードロヴィチ・オブラゼッツ=セイスキーが指揮する軍勢をヴォルガ川伝いにカザンに派遣した。カマ川を行く別の部隊はハン国の東部地域を荒らし回った。カザンに到達した主力軍は周囲を荒らし回ったものの、暴風によって同都市への強襲を妨げられた。
イヴァン3世の要望によって和平が結ばれた。その内容は不明のままであり、年代記は詳しくは伝えていない。
参考文献
- Соловьев С.М. История России с древнейших времён — М.: Голос; Колокол-Пресс, 1993. — Т. 5–6. — 758 с с. — ISBN 5–7117–0129–0.
- М.Г. Худяков Очерки по истории Казанского ханства — 3-е исправленное, и дополненное. — М.: ИНСАН, Совет по сохранению и развитию культур малых народов, СФК,, 1991. — 320 с. — ISBN 5-85840-253-4.
- Волков В. А. Войны и войска Московского государства (конец XV — первая половина XVII вв.) — М.: Эксмо, 2004. — 572 с. — 3000 экз. — ISBN 978-5-699-05914-0.
- Алишев С. X. Казань и Москва: межгосударственные отношения в XV — XVI вв — Казань: Татарское кн. изд-во, 1995. — 160 с. — 7000 экз. — ISBN 5—298—00564—0.
.
- ロシア・カザン戦争_(1478年)のページへのリンク