レイ・サデッキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 07:47 UTC 版)
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セントルイス・カージナルスでの現役時代
(1975年) |
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基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | カンザス州カンザスシティ |
生年月日 | 1940年12月26日 |
没年月日 | 2014年11月17日(73歳没) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 180 lb =約81.6 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1958年 |
初出場 | 1960年5月19日 |
最終出場 | 1977年4月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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レイモンド・マイケル・サデッキー(Raymond Michael Sadecki, 1940年12月26日 - 2014年11月17日)は、アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
1958年にセントルイス・カージナルスと契約してプロ入り。1960年に19歳でメジャーデビューすると、この年は9勝、翌1961年は14勝を挙げた。1964年は20勝(ナショナルリーグ3位)、ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦で勝利投手となったが、続く1965年は6勝15敗、防御率5点台の不振で、1966年途中にサンフランシスコ・ジャイアンツへ放出されてしまう。
移籍後の1968年は206奪三振(リーグ5位)を記録しながらもリーグワーストの18敗を喫した。晩年は左のリリーフとして各球団を渡り歩いた[1]。
投球スタイル
打者のタイミングを外すことに長けていた技巧派左腕だった[1]。
詳細情報
背番号
- 37(1960年 - 1969年、1975年 - 同年途中、1976年 - 同年途中)
- 33(1970年 - 1974年、1977年)
- 34(1975年途中 - 同年途中、1976年途中 - 同年終了)
- 43(1975年途中 - 同年終了)
脚注
- ^ a b 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、214頁。ISBN 978-4-905369-67-7。
- ^ KCK native Ray Sadecki, standout major-league left-hander, dies at 73 THE KANSAS CITY STAR 2014年11月18日
関連項目
外部リンク
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