ルートヴィヒ・フリードリヒ_(ヴュルテンベルク=メンペルガルト公)とは? わかりやすく解説

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ルートヴィヒ・フリードリヒ (ヴュルテンベルク=メンペルガルト公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/08/28 18:43 UTC 版)

ヴュルテンベルク=メンペルガルト公ルートヴィヒ・フリードリヒ

ルートヴィヒ・フリードリヒ(Herzog Ludwig Friedrich von Württemberg-Mömpelgard, 1586年1月29日 モンベリアル - 1631年1月26日 モンベリアル)は、ヴュルテンベルク=メンペルガルト公(在位1617年 - 1631年)。ヴュルテンベルク公爵家の分枝である新メンペルガルト(モンベリアル)家(Jüngere Linie Württemberg-Mömpelgard)の始祖。

ヴュルテンベルクフリードリヒ1世とその妻でアンハルト侯ヨアヒム・エルンストの娘であるジビュラの間の第5子、三男として、モンベリアル城(Château de Montbéliard)で生まれた。1617年5月28日、ルートヴィヒは他の弟たちとともに、長兄ヨハン・フリードリヒとの間に相続協定を結んだ。ルートヴィヒはヴュルテンベルク家領のうちモンベリアル伯領リクヴィールなどライン川左岸にある地域全てを譲られ、独立した領邦君主としての地位も保障されて、新たな分家である新メンペルガルト家を起こした。

ルートヴィヒの領邦経営は三十年戦争によって困難な状況におかれ、モンベリアルは飢饉とペストの流行に苦しめられた。1628年に長兄ヨハン・フリードリヒが死去すると、後継者でまだ14歳だった甥のエーバーハルト3世の摂政および後見人に指名され、シュトゥットガルト宮廷に呼び戻された。ルートヴィヒによるヴュルテンベルク統治は、翌1629年に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世が出した復旧勅令(Restitutionsedikt)によって最初から危機にさらされ、勅令に基づく皇帝軍の占領によって公国は領土のほぼ3分の1を失った。1630年11月に重病に罹ってモンベリアルに帰り、年明けに死去した。

子女

1617年7月14日にヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ5世の娘エリーザベト・マグダレーナ(1600年 - 1624年)と最初の結婚をし、2男1女をもうけたが、1624年に死別した。

  • クリストフ(1620年 - 1621年)
  • ヘンリエッテ・ルイーゼ(1623年 - 1650年) - 1642年、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯アルブレヒトと結婚
  • レオポルト・フリードリヒ(1624年 - 1662年) - ヴュルテンベルク=メンペルガルト公

1625年5月15日にナッサウ=グライブルク伯ヨハン・カジミールの娘で先妻の従妹にあたるアンナ・エレオノーレ(1602年 - 1685年)と再婚し、間に2男1女をもうけた。

  • ゲオルク(1626年 - 1699年) - ヴュルテンベルク=メンペルガルト公
  • ハインリヒ(1627年 - 1628年)
  • ゲオルギーア・ルイーゼ(1630年)

参考文献

  • Sönke Lorenz, Dieter Mertens, Volker Press (Hrsg.): Das Haus Württemberg. Ein biographisches Lexikon. Kohlhammer, Stuttgart 1997, ISBN 3-17-013605-4, S. 178–180.



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