ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前483年の執政官)とは? わかりやすく解説

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ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前483年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:27 UTC 版)

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ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス
Lucius Valerius M.f. Volusi n. Potitus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ウァレリウス氏族
官職 執政官(紀元前483年、紀元前470年)
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ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥスラテン語: Lucius Valerius Potitus)は共和政ローマ初期の政治家・軍人。紀元前483年紀元前470年執政官(コンスル)を務めた。

出自

パトリキ(貴族)であるウァレリウス氏族の出身。父は紀元前505年の執政官マルクス・ウァレリウス・ウォルススである[1]

経歴

紀元前485年にカエソ・ファビウス・ウィブラヌスと共にクァエストル・パッリキディ(財務官であるが、初期においては訴追権を持っていた)に就任。両クァエストルは前年の執政官であり、土地分配法を提案したスプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスを王位を狙ったとして告発した[2]。ウェケッリヌスは有罪となり処刑されたが、この裁判で果たした役割のためにプレブス(平民)の間では不人気となった。しかしながら、ポティトゥスは紀元前483年の執政官に選ばれ、さらには紀元前470年にも二度目の執政官を務めている[3]

紀元前483年の執政官の同僚はマルクス・ファビウス・ウィブラヌスであった。ティトゥス・リウィウスによれば、この数年間護民官はその権力を拡大しようとしていたが、元老院がこれを押し留めていた[2]

紀元前470年の執政官に際には、アエクイに対する戦争の指揮を執った。彼はアエクイ軍野営地への攻撃を試みるも失敗、代わりにアエクイ領を略奪してローマに帰還している[4]

脚注

  1. ^ William Smith, Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology
  2. ^ a b リウィウスローマ建国史』、II.41
  3. ^ リウィウス『ローマ建国史』、II.42
  4. ^ リウィウス『ローマ建国史』、II.62

参考資料

関連項目

公職
先代:
ルキウス・アエミリウス・マメルクス
カエソ・ファビウス・ウィブラヌス I
執政官
同僚:マルクス・ファビウス・ウィブラヌス I
紀元前483年
次代:
クィントゥス・ファビウス・ウィブラヌス II
ガイウス・ユリウス・ユッルス
先代:
アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス・サビヌス I
ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス I
執政官
同僚:ティベリウス・アエミリウス・マメルクス I
紀元前470年
次代:
ティトゥス・ヌミキウス・プリスクス
アウルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・カエリオモンタヌス



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