ルイス・ジョセフ・ヴァレンタイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/12 03:37 UTC 版)
| ルイス・ジョセフ・ヴァレンタイン Lewis Joseph Valentine |
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|---|---|
| ニューヨーク市警視総監 | |
| 任期 1934–1945 |
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| 任命者 | フィオレロ・ラガーディア |
| 前任者 | John Francis O'Ryan |
| 後任者 | Arthur William Wallander |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1882年3月19日 |
| 死没 | 1946年12月16日(64歳没) ニューヨーク市 |
ルイス・ジョセフ・ヴァレンタイン(英: Lewis Joseph Valentine、1882年3月19日 - 1946年12月16日)は、1934年から1945年までフィオレロ・ラガーディア市長の下でニューヨーク市警視総監を務めた人物である。その在任期間は「殺人株式会社」時代と重なる。
経歴
1882年3月19日、ブルックリン生まれ。1903年、21歳の時にニューヨーク市警察に就職[1]。警察の腐敗対策に力を入れ、ラガーディア市長に注目され、1934年に同市の責任者に任命される[2]。
自伝『ナイト・スティック:ルイス・J・バレンタイン自伝(Night stick: The autobiography of Lewis J. Valentine)』[3]を残している[4]。彼は11年間にわたりニューヨーク市警視総監として歴代最長の任期を務めた[5]。『タイム』誌は、彼が警察組織を浄化してニューヨーク市を全米で最も清廉な警察組織の一つに育て上げたと称えた[1]。
1946年12月16日に死去[5]。
日本の警察制度への影響
ニューヨーク市警視総監を退任後の1946年3月、GHQ最高司令官マッカーサーの要請を受けて来日し、日本の警察制度を調査し、同年6月、調査報告書と改革勧告書を提出して帰国[3][6]。日本警察にたいへん批判的な立場から警察制度の地方分権化、各種行政警察の分離、人事の民主化などの改革を示唆。1947年9月にはバレンタイン案を生かした警察法が制定され、日本の警察制度改革に大きな影響を与えた[6][7][8]。しかし、1954年の警察法改正でその構想は大幅に廃棄された[6]。
脚注・参考文献
脚注
- ^ a b “Gangbuster”. Time magazine (1945年9月17日). 2011年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月5日閲覧。
- ^ A. G. Sulzberger (2009年11月11日). “La Guardia's Tough and Incorruptible Police Commissioner”. New York Times .... 2010年10月5日閲覧。
- ^ a b “Night Stick | Bookshare”. 2025年11月12日閲覧。
- ^ Valentine, Lewis J.; La Guardia, Fiorello H. (1947). Night Stick: The Autobiography of Lewis J. Valentine, Former Police Commissioner of New York. Dial Press
- ^ a b “Lewis J. Valentine Dies in Hospital, 64.”. New York Times. (1946年12月17日) 2011年5月5日閲覧。
- ^ a b c 20世紀日本人名事典. “ルイス・バレンタイン”. コトバンク. 2025年11月12日閲覧。
- ^ 新井裕『アメリカの警察制度』1946年。
- ^ 内藤寿子「占領期の検閲に関する一考察」『アジア・文化・歴史』第11巻、アジア・文化・歴史研究会、2020年、191頁。
参考文献
関連項目
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