リチャード・ラムリー (第2代スカーバラ伯爵)とは? わかりやすく解説

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リチャード・ラムリー (第2代スカーバラ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 08:43 UTC 版)

ゴドフリー・ネラーによる肖像画

第2代スカーバラ伯爵リチャード・ラムリー英語: Richard Lumley, 2nd Earl of Scarbrough KG PC1686年11月30日1740年1月29日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。1710年から1721年までラムリー子爵儀礼称号を使用した。

生涯

初代スカーバラ伯爵リチャード・ラムリーとフランシス・ジョーンズ(Frances Jones、サー・ヘンリー・ジョーンズの娘)の次男(長男ヘンリー英語版は1710年没)として生まれ[1]、1686年11月30日に洗礼を受けた[2]。1702年頃にイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1703年4月にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学、1728年にLL. D.の学位を授与された[3]。1706年にドイツを旅行した[2]

1708年イギリス総選挙イースト・グリンステッド選挙区英語版から出馬して庶民院議員に当選、キット=カット・クラブ英語版の一員だったためホイッグ党所属とされた[2]。その後、1710年イギリス総選挙アランデル選挙区英語版に鞍替えして再選した[2]。1709年にはすでに従軍を望んでいたが、1710年9月20日にダラム副提督英語版に任命された(以降死去まで在任)[4]ほかは果たせず、1712年にようやく騎兵中佐になり、1713年に第1竜騎衛兵隊英語版に配属された[2]。その後、1715年まで庶民院議員を務め、同年3月4日に繰上勅書で父からラムリー男爵を継承して[2]貴族院に移籍した。また、王太子ジョージと親しく、1714年7月から9月まで王太子の寝室侍従英語版を務めたほか、同1714年より王太子の主馬頭を務めた[2]。1715年には第1擲弾衛兵騎馬隊英語版隊長になったものの、王太子ジョージを支持したため1717年に連隊長の職の売却を余儀なくされた[2]。その後、1722年にコールドストリーム衛兵連隊隊長を務め、1724年7月9日にガーター勲章を授与された[2]。王太子ジョージへの支持は1727年に王太子がジョージ2世として国王に即位した後も続き、即位とともに1727年6月15日に枢密顧問官に任命され、主馬頭にも留任して1734年まで務めた[2]

1739年に創設された捨子養育院英語版の初代総裁の1人だった[5]

1737年には第2代ハーヴィー男爵ジョン・ハーヴィーがスカーバラ伯爵に精神疾患の兆候がみられると報告しており、スカーバラ伯爵は最終的にはイサベラ・モンタギュー英語版と結婚する前日にあたる1740年1月29日に自殺した[2]。弟トマス英語版が爵位を継承した[1]

脚注

  1. ^ a b Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1793.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Watson, Paula (2002). "LUMLEY, Hon. Richard (1686-1740), of Stansted Park, Suss. and Lumley Castle, co. Dur.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月21日閲覧
  3. ^ "Richard LUMLEY (LMLY703R)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ "Vice Admirals of the Coasts from 1660". Institute of Historical Research (英語). 2006年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月13日閲覧
  5. ^ A Copy of the Royal Charter Establishing an Hospital for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children (英語). p. 4.
グレートブリテン議会英語版
先代
ジョン・コニャーズ英語版
ジョン・トーク英語版
庶民院議員(イースト・グリンステッド選挙区英語版選出)
1708年1710年
同職:ヘンリー・キャンピオン英語版
次代
ジョン・コニャーズ英語版
レオナード・ゲール
先代
ヘンリー・ラムリー英語版
シャノン子爵
庶民院議員(アランデル選挙区英語版選出)
1710年1715年
同職:トモンド伯爵
次代
ヘンリー・ラムリー
トマス・ミクルスウェイト
軍職
先代
ジョージ・チャムリー
第1擲弾衛兵騎馬隊英語版隊長
1715年 – 1717年
次代
ジョン・フェイン
先代
カドガン伯爵
コールドストリーム衛兵連隊隊長
1722年 – 1740年
次代
カンバーランド公爵
公職
委員会制
最後の在位者
サマセット公爵
主馬頭英語版
1727年 – 1734年
次代
リッチモンド公爵
名誉職
先代
スカーバラ伯爵
ダラム副提督英語版
1710年 – 1740年
空位
次代の在位者
ダーリントン伯爵
ノーサンバーランド統監英語版
1722年 – 1740年
次代
タンカーヴィル伯爵
ノーサンバーランド首席治安判事英語版
1722年 – 1740年
イングランドの爵位
先代
リチャード・ラムリー
スカーバラ伯爵
1721年 – 1740年
次代
トマス・ラムリー英語版
ラムリー男爵
繰上勅書により)

1715年 – 1740年



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