ララ・シャヒーン・パシャとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ララ・シャヒーン・パシャの意味・解説 

ララ・シャヒーン・パシャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 09:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ララ・シャヒーン・パシャトルコ語: Lala Şahin Paşa)は、オスマン帝国の軍人。ルメリア地方の初代ベイレルベイ(軍司令官)を務めた。

第3代君主ムラト1世の家庭教師(Lala)を務め、ムラト1世が帝位に就いた時にはバルカン半島トラキア地方での軍事遠征に参加していた[1]

1362年にララ・シャヒーン・パシャはアドリアノープル(エディルネ)攻略に派遣され、同年7月にサズルデレの戦いで東ローマ帝国)軍に勝利[2]1363年にはアドリアノープルはオスマン帝国の支配下に入った[3]。アドリアノープル攻略後にフィリッポポリス(フィリベ、プロヴディフ)、サグラ、セレスを制圧し、トラキア]地方はオスマンの支配下に入った。

1371年マリツァの戦いでは、ララ・シャヒーン・パシャはセルビア・ブルガリアの連合軍に勝利する。同年のブルガリア遠征にララ・シャヒーン・パシャが派遣され、サマコフの戦いでブルガリア皇帝イヴァン・シシュマン英語版を破った[4]

1388年ビレチャの戦いでも指揮官を務めるが、ボスニア軍に敗北を喫した[5]

脚注

  1. ^ Villani M., "Istoria", RISS, XIV, Milano (1729), 549-550頁
  2. ^ 三橋富治男『トルコの歴史』(世界史研究双書, 近藤出版社, 1990年12月)、107頁
  3. ^ N.アクシト『トルコ 2』(永田雄三編訳, 世界の教科書=歴史, ほるぷ出版, 1981年11月)、56頁
  4. ^ 三橋富治男『トルコの歴史』(世界史研究双書, 近藤出版社, 1990年12月)、110-111頁
  5. ^ Setton, Kenneth Meyer; Robert Lee Wolff, Harry W. Hazard, Norman P. Zacour. A History of the Crusades. University of Wisconsin Press. pp. 246–247. ISBN 0-299-10744-2. http://books.google.co.uk/books?id=TKaPrQPFIAMC&pg=PA247 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ララ・シャヒーン・パシャ」の関連用語

ララ・シャヒーン・パシャのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ララ・シャヒーン・パシャのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのララ・シャヒーン・パシャ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS